作家の獅子文六に、元実業家の伯父さんが心配そうな顔で「フルかなァ」と言った。雨のことかと思って聞き返すと、「いや、インフルか、フラんかということさ」、そう答えたと『へなへな随筆』(文芸春秋新社)に書いている
戦前、昭和10年代の話という。お金の価値が下がり、物の値段が上がるインフレにはどこか燃え上がるイメージがあり、鬱陶(うっとう)しい雨はむしろデフレだろう
政府は日本経済がデフレ状態にあることを公式に認めている。「デフルか、デフラんか」の時はすでに過ぎ、雨がいつあがるかに世の関心は集まりつつある
デフレはローンを抱えた人たちを鞭(むち)打つ。お金の価値が低いときにこしらえた借金を、価値の高いお金で返済しなくてはならないからである。公共事業を削ることに熱心な鳩山内閣だが、一時的には志と逆向きに、舟でいえばデフレ退治の“逆櫓(さかろ)”を漕(こ)ぐ判断も必要になるだろう
ミゼラブル(悲惨な)という英単語を見て、ミゾレフル――霙(みぞれ)の降る冬の情景を思い浮かべたのは徳富蘆花『思出の記』の主人公だった。デフレの雨も、無策がつづけば冷たいミゾレに変わる。
11月28日付 編集手帳 読売新聞
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