拾ってきた財布の中身を亭主がぶちまける。二分金で50両、女房が驚いて言う。「お前さん、これは銭じゃないよ。金(かね)じゃないか」。落語『芝浜』である。クスグリと勘違いして笑う客もいるという
随筆家、京須偕充(きょうすともみつ)さんの著書「みんな芸の虫」(青蛙房)によれば、江戸の昔は金(両、分、朱)と銭(貫、文)の区別があり、女房は事実を述べたまでで、笑うところではないという
金と銭の区別がない現代は…と書きかけて、ためらうものがある。昼食で50円、100円の「銭」を節約するのに苦心している人から見れば、偽装献金でケタの違う「金」がうごめく永田町は別世界かも知れない
大阪のたこ焼き店が従業員にボーナスの一部を10円玉で支給した、という記事をヨミウリ・オンラインで読んだ。「不況で厳しいぶん、せめて重みだけでも」というシャレを利かせた話題づくりというが、時節柄、“銭派”の庶民が“金派”の政界を風刺した図と映らなくもない
デフレに円高と、いつになく金銭のことが脳裏にちらつく師走である。今宵(こよい)は満月、〈名月や銭金(ぜにかね)いはぬ世が恋し〉の古句が心にしみる。
12月2日付 編集手帳 読売新聞
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