8.31.2008

人は不安になると太陽に背を向ける・・・ 編集手帳 八葉蓮華

人は不安になると太陽に背を向ける・・・ 編集手帳 八葉蓮華
海水浴場の迷子は夕暮れに東の浜で見つかる。監視員から、そんな経験則を聞いたことがある。人は不安になると太陽に背を向ける。西日が砂浜に落とす影を追いながら、とぼとぼと歩くうちに、東の果てに行きつくのか◆燃料高にみまわれたこの夏、レジャーは「安・近・短」の志向が強まり、近場のビーチでは、色とりどりのパラソルの花がひらいた。だが、見上げれば、いつしか空は高くなり、夕暮れの浜には涼風が吹いている◆12月31日、3月31日、8月31日…1年のうちには何日か、いくらかの淋(さび)しさと、明日への緊張とが、ないまぜになる一日がある。立秋はとうに過ぎたが、子供のころの習い性だろう、8月31日にはいつも「夏の終わり」を思う◆最近は雪国などだけでなく首都圏の一部の公立小中学校でも、授業時間を確保するために夏休みを短縮し、先週から2学期がはじまっている。夏休みもとれずに、働きづめだった社会人の方もおられよう◆きょうは日曜日。この夏にやり残したことはないか、家族で思い返してみるのもいいだろう。9月の太陽に向かって、歩き出す活力を得るためにも。

8月31日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.30.2008

「ゲリラ豪雨」水への畏怖と警戒・・・ 編集手帳 八葉蓮華

「ゲリラ豪雨」水への畏怖と警戒・・・ 編集手帳 八葉蓮華
天空の高みを海原にたとえることは、かつては詩人の一手専売であったろう。万葉集巻七には柿本人麻呂の〈天(あめ)の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕(こ)ぎ隠る見ゆ〉という歌も見える◆今はどうやら誰もが空のなかに海を意識し、海上にあって抱く水への畏怖(いふ)と警戒を天上にも怠れぬ時代であるらしい。集中豪雨が突然、狭い範囲で短時間に起こる「ゲリラ豪雨」という言葉を新聞で見かけぬ日はない◆海と空は天然の巨大な蒸留装置といわれる。海面の温度が上昇すれば海水の蒸発する量は増え、その分、大気中の水蒸気が強い雨となって降りやすくなる理屈で、地球の温暖化をゲリラ豪雨の一因とみる専門家もいる◆きのうの朝にかけて東海や関東、中国地方の各地を、「空の水門」が開いたかのような豪雨が襲い、河川の氾濫(はんらん)で多数の家屋が浸水する大きな被害が出た。愛知では亡くなった方もいる◆的確な情報と、絶えざる警戒と、機敏な行動と、対ゲリラ戦の要諦(ようてい)はその三つであるという。ゲリラ豪雨の備えも同じだろう。きょうも一部の地域で激しい雨が予想されている。海のような空に、用心が怠れない。

8月30日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.29.2008

どもならんな・・・ 編集手帳 八葉蓮華

どもならんな・・・ 編集手帳 八葉蓮華
釈迦の弟子、槃特(はんどく)はのちに悟りをひらいて高僧となったが、若いころは物覚えがわるく、自分の名前も覚えられなかったという。板切れに書き、背負って歩いた…◆上方落語「八五郎坊主」では和尚さんがこの伝承を例に引き、何でも忘れてしまう八五郎に修養を説いている。世の政治家は槃特さんとは違って、人の名前を覚える達人ぞろいと感心していたが、そうでもないらしい◆太田誠一農相の政治団体をめぐる事務所費の不明朗な扱いが明るみに出た。これから領収書などを精査し、国民にきちんと説明するというが、入閣する時に済ませておくべきことだろう◆佐田…松岡…赤城…と、安倍政権が短命に終わる一因をなした“不始末組”の名前をもう忘れていたか。八五郎にあきれた和尚さんのせりふではないが、「そう尻から尻から忘れてもろうては、どもならんな」である◆遅ればせながら高僧に倣い、政治資金でつまずいた閣僚リストを、まあ、板切れを背負うのも大変だから、紙に書いて背広の下あたりに留めてみるのもいいだろう。留める道具は安全ピンか、粘着テープか、そう、絆創膏(ばんそうこう)もある。

8月29日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.28.2008

何の闘争か。何の主義主張か。・・・ 編集手帳 八葉蓮華

何の闘争か。何の主義主張か。・・・ 編集手帳 八葉蓮華
歌人の河野裕子さんに一首がある。〈しつかりと飯を食はせて陽(ひ)にあてしふとんにくるみて寝かす仕合(しあわ)せ〉。何をおいても子供がひもじくないように――国境も宗教の違いも超えた普遍の親ごころだろう◆その人は、子供たちが食べる物に困らないアフガニスタンの国づくりに志を立て、現地で農業を指導していた。戦禍と内紛に荒れた土地に「しつかりと飯を食はせ…」の種を蒔(ま)こうとした人である◆民間活動団体の職員、伊藤和也さん(31)が武装集団に拉致され、遺体で見つかった。親と子の笑顔ひとつを報酬に、身も心も地元民に捧(ささ)げてきた人の無念はいかばかりだろう◆アフガンを祖国のごとく愛してやまない人の命を奪い、アフガンの人々を悲しませ、何の闘争か。何の主義主張か。許しがたい蛮行に、文字をつづる指先の震えが止まらない◆「アフガンのために働いてきた息子をどうか返してください」。まだ安否が不明のころ、母の順子さん(55)が涙ながらに訴えた声が耳に残っている。わが子を手料理と柔らかな布団で迎える。奇跡の時が訪れるのを祈るように待っていただろう。ともに目をつむる。

8月28日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.27.2008

災害時特有の混乱・・・ 編集手帳 八葉蓮華

災害時特有の混乱・・・ 編集手帳 八葉蓮華
いつぞや立川談志さんの落語「鼠穴(ねずみあな)」を聴き、胸にとどめた一節がある。〈まさかそこまでは…という「まさか」の坂が越えられない〉。あと一歩の想像力を欠いたばかりに、主人公が苦難を背負うくだりである◆「まさか」の坂を越えられず、「よもや」の靄(もや)を抜けられず、思慮の不足を悔いの種に変えながら人は生きている。とはいえ世間には無理にでも坂を越え、あらん限りの思慮を動員しなくては成り立たない仕事もある◆豪雨で冠水した栃木県鹿沼市の市道で、女性(45)が乗用車に閉じこめられて水死した。目撃者が通報し、女性みずからも携帯電話で助けを求めたが、警察や消防はほかの災害現場と混同し、救助の出動を怠ったという◆災害時特有の混乱があったにせよ、「もしも被災者が別にいたら…まさか!」と想像力を働かせ、救助の手を尽くしていれば、坂の向こうには救えたかも知れない命があったはずである◆亡くなった女性は水没していく車内から母親(75)にも電話している。「助けて、水が、水が…」のあとは悲鳴だけが聞こえ、最後の言葉は「お母さん、さようなら」であったという。

8月27日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.26.2008

長生きも芸のうち・・・ 編集手帳 八葉蓮華

長生きも芸のうち・・・ 編集手帳 八葉蓮華
有吉佐和子さんは36歳のとき、前日に辞書で引いた英単語をまた引いている自分に気づき、記憶の衰えに愕然(がくぜん)とした。老いを究めようと思い立ち、やがて話題作「恍惚(こうこつ)の人」を書く◆題名は頼山陽「日本外史」の一節、「三好長慶(ながよし)、老いて病み、恍惚として人を識(し)らず」から採ったという。認知症をいち早く取り上げた小説が世に出て36年、いまでは高齢社会のごく身近な病となったが、「あの人が…」と思えば胸に去来するものがある◆マーガレット・サッチャー元英国首相(82)の長女が近く出版する回想録のなかで、元首相の認知症が進み、夫君が死去したことも忘れるほど記憶力が減退していることを明かしたという◆「コンセンサス(合意)の旗の下で、誰が戦いに勝ったか?」「たとえ一人になっても、私が正しければ問題はない」等々、“鉄の女”と呼ばれた人の語録を思い起こし、英国から届いた知らせを寂しく聴いた◆「長生きも芸のうち…」とは歌人、吉井勇が八代目桂文楽に贈った言葉である。〈長生きも芸のうちぞと落語(はなし)家(か)の 文楽に言ひしはいつの春にや〉。芸のむずかしさを改めて知る。

8月26日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.25.2008

世代交代への種まき・・・ 編集手帳 八葉蓮華

世代交代への種まき・・・ 編集手帳 八葉蓮華
春の七草で知られるセリは夏に白い花の冠をつける。泥の中のわずかな根からも芽吹き、冠を競り合うように茎を伸ばす。名前の由来という◆その花もそろそろ見納めのころを迎え、夏も終わりが近い。北京五輪も幕を閉じた。テレビ桟敷を離れ、ゆく夏の寂しさを感じる人も多かろう◆視聴率の都合で競技日程を分断する商業主義は健在な一方で、「国家スタジアム」での過剰ともいえる演出からは、管理された社会の息苦しさも感じた。期間中もグルジアなどで戦火やテロは止(や)まなかった。平和の祭典という言葉が、ときに虚(うつ)ろに響く大会でもあったろう◆磨き上げた技のぶつかり合いに、重苦しさ、息苦しさをしばし忘れることができたのは救いである。多くの選手は4年後に向けて再び泥にまみれる練習漬けの日々に戻る。しっかり根を張り、ロンドンでも可憐(かれん)な花を見せてほしい◆メダルの色や数にこだわる気はないが、日本の9個の金のうち7個がアテネからの連覇というのが、やや気がかりでもある。世代交代への種まきも欠かせない。根から力強く芽吹くセリも、種から育てるのは至難の業という。

8月25日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.24.2008

聖火は消えても・・・ 編集手帳 八葉蓮華

聖火は消えても・・・ 編集手帳 八葉蓮華
夏の日盛りに羽根つきの音を聞いたのは10日ほど前である。自宅の向かいが小さな公園になっている。窓から眺めると、小学生の姉妹らしき二人が遊んでいた◆女子のバドミントンで日本の“スエマエ”ペアが世界の4強入りを果たしたころである。おもちゃの羽子板はラケットの代わりであったか。遠い昔、加藤沢男選手のつり輪をテレビで見たあと、狭い廊下で両手を壁に突っ張り、十字懸垂をまねたことを思い出した◆懸垂の少年は天分と根気に難があり、テレビ桟敷でほろ酔い加減の声援を送るおじさんになり果てたが、羽根つきの姉妹はどうだろう。北京五輪がきょう、幕を閉じる◆北島康介選手をまねて、畳の上で気持ちよく平泳ぎをした子もいただろう。内村航平選手の鉄棒を見て、逆上がりの練習をしに小学校の校庭に走った子もいただろう。祭りの終わりはたとえば8年後の、12年後の、祭りの始まりであるのかも知れない◆〈夢はつまり 想(おも)い出のあとさき…〉と、井上陽水さんは「少年時代」で歌っている。聖火は消えても、大人たちの胸に想い出の火は残る。子供たちの胸に、夢の火は残る。

8月24日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.23.2008

「夏炉冬扇」あまり急に涼しくなると・・・ 編集手帳 八葉蓮華

「夏炉冬扇」あまり急に涼しくなると・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ポール・クローデルに、日本列島を「琴」に見立てた詩がある。フランスの詩人で、大正から昭和にかけて駐日大使も務めた人である。〈日本 長き琴のごと/出(い)づる日の 一指(いっし)のもとに いまをののく〉◆水平線に射(さ)しのぼる「指」(=夜明けの閃光(せんこう))に触れて琴はおののき、鳴りいだす…。「詩人の想像のなかにとらえられた、まことに美しく鮮烈な列島の姿である」と、比較文化学者の芳賀徹さんは「詩の国 詩人の国」(筑摩書房)に書いている◆琴の長さを感じさせる便りが北海道から届いた。沖縄では真夏日というのに、稚内市できのう、最低気温1・5度を記録したという。1893年(明治26年)に帯広市で観測した道内8月の記録、2・1度を115年ぶりに更新した◆時期に合わない無用の事物を「夏炉冬扇(かろとうせん)」というが、もう少しで氷点下では夏炉さまさまだろう。夏も終わりですよ――と季節に追い立てられているようで、心なしか気ぜわしくもある◆あまり急に涼しくなると、いささか“五輪疲れ”の心身は震えおののく。季節を告げる琴の調べよ、どうかゆるやかな調子でお願いします。

8月23日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.22.2008

超人的な記録・・・ 編集手帳 八葉蓮華

超人的な記録・・・ 編集手帳 八葉蓮華
不思議な飲み物を口にした少女は、背丈が25センチほどに縮んだ。不思議なお菓子を食べると今度は、3メートルに伸びた。ルイス・キャロルの物語「不思議の国のアリス」である◆小さなアリスが仰ぎ見る「壁」も、大きなアリスには「階段」の1段にすぎない。顧みれば人間の営みは、不思議なお菓子で壁を階段に変えていく歴史であったろう◆陸上男子二百メートルでマイケル・ジョンソン選手(米国)が12年前に記録し、「半世紀は破られない」と誰もが信じた19秒32を、北京五輪でウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)が過去のものにした。縮めること100分の2秒、また一人、壁を階段に変えた人がいる◆ボルト選手が歴史に刻んだ超人的な記録をいつの日にか打ち破る少年が、地球のどこかで今、天から授かったお菓子を指で口に運んでいるかも知れない◆不思議な飲み物で小さくなったアリスは、自分の流した涙の海で危うく溺(おぼ)れかけた。きのうまでの階段が今日は壁となって立ちふさがり、涙の海を肌身で知った失意の選手もいたことだろう。オリンピックという「不思議の国」の祭りも、残すところ3日である。

8月22日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.21.2008

ちっちゃい手だね・・ 編集手帳 八葉蓮華

ちっちゃい手だね・・ 編集手帳 八葉蓮華
「うぶめ」とは難産で命を落とした女性の霊魂をいう。漢字では「産女」「姑獲鳥」と書く。夜をさまよい、通る人に赤子を抱かせる哀(かな)しい亡霊である◆故人の無念を胸に、司法の場で真相が解明されることを望む遺族の“情”は痛いほど分かる。悲しみは悲しみとして、通常の医療行為で刑事責任を問われては医療が成り立たない、という医師側の“理”もよく分かる。情理の間を揺れながら判決を聴いた◆福島県の県立病院で4年前、帝王切開の手術中に女性(当時29歳)が死亡した事件である。業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医の被告(40)に福島地裁はきのう、無罪を言い渡した。理を認めた判断だろう◆とは思いつつ、病院側の説明に得心のいかない患者は真相解明をこれから誰に委ねればいいのか…と思案し、心はまた情に揺れ戻る。中立的な調査機関を設ける以外に策はあるまい◆「ちっちゃい手だね」。帝王切開で生まれた女児と対面して最期の言葉を残し、女性は息を引き取ったという。「うぶめ」の悲しみを消し去ることはできないまでも、たとえわずかでも慰める知恵はあるだろう。

8月21日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.20.2008

心を鍛える・・・ 編集手帳 八葉蓮華

心を鍛える・・・ 編集手帳 八葉蓮華
長嶋茂雄さんが現役のころ、三塁の守備についても自分の打撃が頭を離れず、グラブを手にスイングの動作をしたことがあった。当時の巨人監督、川上哲治さんは見逃さず、試合後に人前で厳しく叱責(しっせき)したという◆スター選手も特別扱いをしなかった川上さんの指導を楽天の現監督、野村克也さんは著書「エースの品格」(小学館)で称(たた)えている。指導者の鞭(むち)が、人々に「ミスター」と敬愛される稀有(けう)の野球人をつくったのだろう◆恵まれた体とスピード出世の実績で、大相撲ではスターの卵の、そのまた小さな卵ぐらいの期待は集めていた人である。ロシア出身の幕内力士、若ノ鵬(20)(間垣部屋)が大麻を所持していた疑いで警察に逮捕された◆部屋からは吸引用の道具も見つかっている。初土俵から3年を待たずに新入幕を果たした弟子を、「心技体」の技と体に惚(ほ)れて甘やかし、師匠は心を鍛える鞭を忘れていなかったか。名監督に爪(つめ)の垢(あか)をもらうのもいい◆スターをミスターとして天上に輝かせもし、心の未熟を放置して地べたに叩(たた)き落としもする。上に立つ人が後進に授ける「み」の字にもいろいろある。

8月20日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.19.2008

失敗を許しも認めもせず・・・ 編集手帳 八葉蓮華

失敗を許しも認めもせず・・・ 編集手帳 八葉蓮華
西条八十に会食の席での失敗談がある。パリを旅し、「商船テナシティ」の原作者で詩人のシャルル・ビルドラックから晩(ばん)餐(さん)に招かれた時である。料理を皿に取ったつもりが、皿と見えたのはレースの敷物だった◆うろたえる客人にビルドラックはひと言、「Jeunesse」(青春)と告げたという。日本の詩人は当時30代、年齢の青春ではあるまい。若い日々が記憶のなかで輝くように、この失敗もやがては思い出という宝物になりますよ…と◆北京から届くテレビ映像に毎日、同じ言葉をつぶやいている。けが、不調、不運に泣いた人も、それぞれに宝物を手にしただろう。五輪とは青春の、つまりは失敗の祭典でもあるらしい◆その開会式に“口パク”の歌声は要らざる演出であったろう。たとえ少女が緊張して歌を間違え、泣き出したとしても、聴衆はもらい泣きの拍手で彼女を包んだはずである◆〈日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか〉。詩人、吉野弘さんの詩「過」の一節である。人は皆、過ちを繰り返しながら生きている。失敗を許しも認めもせず、「青春」の一語を忘れた社会は息苦しい。

8月19日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.18.2008

根っこにあるのは民族問題・・・ 編集手帳 八葉蓮華

根っこにあるのは民族問題・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時のセルビア人勢力指導者ラドバン・カラジッチ被告は、13年に及んだ逃亡生活最後の2年半、代替医療の医師として過ごした◆長々と白髪を伸ばし、頬(ほお)からアゴまで、むさ苦しいほどの白ひげを蓄えた。この変装と偽名と成り済ました職業に自信があったのか、一般対象の講演会に出向き、講師を務めたりもした◆「民族浄化」政策を指導したとされ、このおぞましい言葉が定着するのにあずかった人物である。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から大量虐殺などで起訴され、行方を追われていた。それがこの脇の甘さ。あるいは、不快感を禁じ得ないくらいのふてぶてしさ◆カラジッチ被告逮捕からほどなく、南オセチアをめぐるロシアとグルジアの武力衝突が発生した。ボスニア同様、根っこにあるのは民族問題だ。そこには、力の行使では解決できない様々な要因が横たわっている◆気になるのはロシア軍の行動だ。欧米寄りのグルジアを罰するかのように領内へ進軍し、停戦合意後もぐずぐずと兵を引こうとしなかった。力こぶを誇示する者のふてぶてしさも、不快である。

8月18日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.17.2008

北京五輪は早くも前半戦を終え・・・ 編集手帳 八葉蓮華

北京五輪は早くも前半戦を終え・・・ 編集手帳 八葉蓮華
オリンピックを中国では「奥林匹克運動会」と書く。小欄でも以前に紹介したが、北京五輪の盛り上がりで、今や日本で一番知られる中国語の一つとなった。ただしオリンピックの中国式表記はこれのみにあらず◆辞典には「奥林比克」「奥林辟克」なども載っている。いずれも原音に近い字を当てただけで深い意味はなさそうだ。略せば同じ「奥運会」になる◆ほかに一つだけ、「欧林比克」という意味ありげな表記例があった。欧林――そびえ立つような欧州のアスリートたちが、克(か)つことを比べる――競い合う、と読めぬこともない。略すと「欧運会」だ。欧米や旧ソ連圏の選手が主役だった時代なら、うなずける当て字である◆北京五輪は早くも前半戦を終えた。各国が獲得した金メダルの数は、開催国の中国が米国をも上回り、断然トップに立っている。この五輪は、今のところ「中運会」と呼べそうだ◆日本勢は健闘しているものの、メダルの数では大きく差をつけられた。悔しくないと言えば嘘(うそ)だが、アジアの国の活躍で、オリンピックが完全に「欧運会」でなくなった点では、喜んでもいいのだろう。

8月17日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.16.2008

月の美しい宵であれば・・・ 編集手帳 八葉蓮華

月の美しい宵であれば・・・ 編集手帳 八葉蓮華
一番の歌詞には〈婆(ばあ)ヤはおいとまとりました〉とあり、以下、〈妹は田舎へ貰(も)られてゆきました〉(二番)、〈母(かか)さんに、も一度わたしは逢(あ)いたいな〉(三番)とつづく。野口雨情作詞、本居長世作曲「十五夜お月さん」である◆家族と離ればなれになった悲しみが歌われている。大正期につくられた童謡は、昭和の戦争とはかかわりがない。「十五夜」も陰暦8月15日の夜のことをいい、いまの暦とは違う◆それでも終戦記念日の夜を迎えるたび、月の美しい宵(よい)であればなおさら、その歌詞が胸に染みとおる。出征であったり、学童疎開であったり、多くの人々が一家離散を余儀なくされた時代を思い起こさせるからだろう◆月を仰いで「も一度逢いたい」と祈った母さんは亡くなったか。貰(もら)われていった妹はどうしたか。歌われていない父さんは…。創作の詩に問うても仕方ないとはいえ、いつもながら気にかかる◆〈遠く離れて逢いたいときは月が鏡になればよい〉と古い俗謡にある。幽明、境を異にした肉親ほど、遠く離れて逢いたい人はいない。あすの晩は満月、亡き面影を天上の鏡に映す人もあるだろう。

8月16日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.15.2008

悲しみに耐えた数限りない人々・・・ 編集手帳 八葉蓮華

悲しみに耐えた数限りない人々・・・ 編集手帳 八葉蓮華
「マサノリ キヨコ フタリヘ」という手紙に父は書いている。〈ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ〉。お父さんは神様になってお前たちを見守っているのだから、と◆特攻隊員の最後の言葉を収めた知覧特攻平和会館編「いつまでも、いつまでもお元気で」(草思社)の一編である。終戦の年5月に戦死した久野正信中佐29歳、子供たちはカタカナがやっと読める年ごろだろう◆数日前の新聞記事に目を落とす。東条英機元首相が終戦直前に綴(つづ)ったという手記に、国民を「無気魂」(=だらしない)と批判した一節があった◆〈オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセン…〉。血を吐くように書き残した父の、おそらくは泣き腫らした目で幾度も読み返しただろう子の、手紙の形はとらずとも、父子と同じ悲しみに耐えた数限りない人々の、どこが「無気魂」か。そういう指導者のもとで遂行された戦争である◆うそか本当か、B29と聞いて「そんな軟らかい鉛筆があるの?」と尋ねる若い人もいると聞く。語り継がねばならない。悲しい手紙が二度と書かれることのないように。

8月15日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.14.2008

今日は倒れた旅人たちも/生まれ変わって/歩き出すよ・・・ 編集手帳 八葉蓮華

今日は倒れた旅人たちも/生まれ変わって/歩き出すよ・・・ 編集手帳 八葉蓮華
〈ふりかへり振り返り走るランナーよ追ふはおのれの影のみなるを〉。大江昭太郎さんの歌集「黄瑞香(きずいこう)」より。顧みれば人はいつも、何かに追われるように後ろを振り返りながら生きている。山坂があり、雨にも濡(ぬ)れる◆長距離走者の孤影には人生の旅を思わせるものがある。4年間という歳月をマラソンの行程42・195キロにあてはめれば、最後の5日間は144メートルほどの距離である。競技場の門をくぐり、ゴールが見える地点だろう◆女子マラソンの野口みずき選手(30)が北京五輪本番の5日前、左足の肉離れで出場を断念した。アテネの金メダルから4年、北京での連覇を目標に走りつづけてきた人の無念はいかばかりだろう◆発表したコメントのなかで野口選手は出場する代表ふたり、土佐礼子、中村友梨香の両選手に期待の重圧が集まることを気遣った。旅人が小柄な体に背負ってきた荷の重さを改めて知る◆つらい後ろをいまは振り返らず、心と体をゆっくり休めてほしい。中島みゆきさんの歌った「時代」の一節が浮かぶ。〈今日は倒れた旅人たちも/生まれ変わって/歩き出すよ〉。その日は来る。

8月14日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.13.2008

世の中は澄むと濁るで大違い・・・ 編集手帳 八葉蓮華

世の中は澄むと濁るで大違い・・・ 編集手帳 八葉蓮華
徳川家康が浜松城で武田信玄の軍勢に包囲されたとき、勝ちに乗る武田方は城中に一句を送った。〈松枯れて竹たぐひなき旦(あした)哉(かな)〉。「松」は徳川=松平、「竹」は武田を指す◆徳川勢が意気消沈するなかで酒井忠次が機転を利かし、〈松枯れで武田首無き旦哉〉と詠み直した。一同喝采(かっさい)したと、鈴木棠三(とうぞう)さんの「ことば遊び」(中公新書)に教わった◆濁点の付け替えで意味が一変するのも日本語の面白さだろう。〈世の中は澄むと濁るで大違い〉のあとに、〈刷毛(はけ)に毛があり、はげに毛がなし〉とつづけたり、〈墓はお参り、馬鹿(ばか)はお前だ〉とつづけたり、例は尽きない◆立秋を過ぎて暦の上で秋とはいえ、列島に厳しい残暑がつづく。夏の終わりを指す季語に「夏果て」がある。「夏ハテ」が先か、「夏バテ」が先か、競走の季節を迎えた◆諸式は高騰し、景気は視界ゼロの霧の中、どうやら夏バテが先かな…と、不安と期待が半々の目で閣僚の顔ぶれを眺める。国民の「ためになる」内閣と、愛想を尽かされて「だめになる」内閣と、総合経済対策の指揮をとる福田首相も澄むと濁るの分かれ道に立っている。

8月13日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.12.2008

はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき・・・ 編集手帳 八葉蓮華

はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき・・・ 編集手帳 八葉蓮華
西条八十の葬儀に堀口大学が捧(ささ)げた弔歌がある。〈はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭(むち)いたかりき〉。負けてなるか、と競い合う青春がふたりの詩人にはあったのだろう◆以前、スポーツ誌「ナンバー」で読んだイチロー選手の言葉を覚えている。「本当にベストだったと思うためには、自分のみならず相手のベストも必要だ」と。歌に通じるようである◆北京五輪の競泳百メートル平泳ぎは、北島康介選手(25)が世界新記録で2連覇の金メダルを手にした。ノルウェーの新星ダーレオーエン選手が予選、準決勝で五輪新記録の快泳を重ねるに連れ、北島選手の眼光が変わったと、本紙の特派員電が伝えている◆実力という名の燃料タンクを満たすのは日々たゆまざる鍛錬だが、大舞台で一滴残らず燃焼させる着火剤は「負けてなるか」の眼光をおいてない。相手のベストに目の色を変え、わが身に鞭を当てて自身のベストを引き出す。五輪とは鞭の痛みに耐える人の過酷な祭りをいうらしい◆「すいません。何も言えない」。しばし、その人は感無量で絶句した。男泣き…忘れていた美しい言葉を思い出す。

8月12日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.11.2008

「(鳥の巣は)トロイの木馬のようなもの」・・・ 編集手帳 八葉蓮華

「(鳥の巣は)トロイの木馬のようなもの」・・・ 編集手帳 八葉蓮華
開会式が華やかに行われて、北京五輪を象徴する建物になった「鳥の巣」の正式名称は「国家体育場」だ。10万人近くが収容可能な巨大施設を、柔らかな曲線でまとめた奇抜なデザインは、世界的なスイス人建築家J・ヘルツォークとP・ド・ムーロン両氏によるもの◆東京・南青山の高級ブティック「プラダ」のビルも両氏事務所の設計である。彼らが建築を受注してから、完成までを記録したドキュメンタリー映画「鳥の巣」が、いま都内渋谷で上映されている◆中国にとって最大の国威発揚となる五輪の主舞台の設計も外国人頼みだった一方で、スイスの建築家たちが中国の伝統美や文化を模索する。その対比がおもしろい◆西欧には独裁国家に貢献するとの批判もある。そんな疑問にヘルツォーク氏は「(鳥の巣は)トロイの木馬のようなもの」と独誌に答えている◆設計顧問として参画した中国人芸術家の艾未未(アイウェイウェイ)氏は米紙に対し、「五輪は中国人たちが、いかに自由と民主を望んでいるかを世界に示す最大の機会だ」と語る。当局の予想を超える“人心の変化”も五輪は内包しているかもしれない。

8月11日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.10.2008

挑戦することに意義がある・・・ 編集手帳 八葉蓮華

挑戦することに意義がある・・・ 編集手帳 八葉蓮華
近代五輪の父、ピエール・ド・クーベルタン男爵は、遺言により、自分の心臓をオリンピアの地に埋めた。ハート、すなわち心を五輪に捧(ささ)げ切ったということだろう◆「勝つことではなく、参加することに意義がある」。言わずと知れたクーベルタンの言葉だ。勝利へと向かって、前進し続ける努力に価値を認めた。「挑戦することに意義がある」とした方がいいかも知れない◆今、北京に204の国と地域から精鋭が集っている。不穏な空気をぬぐえない今大会ではあるが、選手たちはただひたすら、自らの限界に挑戦し、ドラマを見せてくれるだろう◆連日、感動と興奮を味わえるのも、近代五輪を実現させた男爵の偉業による。クーベルタンのせめて万分の一でも意義ある事を成し、最期に、生涯の志を仕込んだ我が心臓を縁(ゆかり)の地に埋めよ、と遺言してみたいものだ◆きょう8月10日は語呂合わせで「ハートの日」。心臓疾患の予防を心がける日という。いまだ偉業のかけらすら成さず、中に込める志も見つからぬままだが、北京のアスリートたちを応援しつつ、とりあえず入れ物だけは大切にしておきたい。

8月10日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.09.2008

血なまぐさいにおい・・・ 編集手帳 八葉蓮華

血なまぐさいにおい・・・ 編集手帳 八葉蓮華
上方落語の煮売屋(にうりや)、いまでいう居酒屋の場面に、3種の怪しい“名酒”が登場する。飲んで村を出るころに醒(さ)める「むらさめ」、庭を出るころに醒める「にわさめ」、飲んでる尻から醒めていく「じきさめ」という◆スポーツ観戦で受ける感銘は「さめず」という名の美酒であってほしいと誰しも願う。北京五輪の場合はどうだろう。酔わせてなるかと言わんばかりの、中国当局による嫌な事件である◆新疆ウイグル自治区で警察部隊が襲撃された事件を取材していた東京新聞の写真部記者が武装警官に連行され、肋骨(ろっこつ)3本にひびが入る暴行を受けた。日本テレビの記者も顔などを殴られている◆人には想像力というものがある。取材中の外国人記者がこれだけの暴行を受けるのであれば、何かの嫌疑をかけられた中国人の住民は密室で一体どんな扱いを受けているのだろう。肋骨何本で済んでいるとは思えない◆開会式の華麗な祭りに息を呑(の)んだあとで、勝者とともに雄叫(おたけ)びを上げたあとで、敗者とともに涙ぐんだあとで、想像力はときに血なまぐさいにおいを運んでくるだろう。「じきさめ」の哀(かな)しい予感がする。

8月9日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.08.2008

五輪の火が点じられる・・・ 編集手帳 八葉蓮華

五輪の火が点じられる・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ひと月半ほど前、本紙の「読売歌壇」で知った一首がある。〈完封の投手の上げる雄叫(おたけ)びのなきまま長き勤め終りぬ 篠山市 清水矢一〉。定年を迎えた感慨という◆言われてみると、そう、会社勤めのなかで雄叫びを上げたことは一度もないな…。ゲームセットまでしばらく時間を残す身ながら、歌にうなずいた覚えがある。雄叫びはおろか、小さなガッツポーズの記憶さえ心もとない◆そのくせ、めった打ちされて放心している投手を見たときなどは、まるであの時の自分のようだ――と、仕事でしくじった記憶が冷や汗まじりによみがえるのだから、困ったものである◆〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として〉。4年前に死去した歌人、島田修二さんの一首も忘れがたい。敗者のなかに過去の自画像を見つける。スポーツ観戦の本筋かどうかは別にして、そういうほろ苦い愉(たの)しみも確かにある◆北京の聖火台にきょう、五輪の火が点じられる。どの競技といわず、天にこぶしを突き上げて雄叫びをあげる人の傍らには、うなだれて去りゆく背中があるだろう。いくつもの遠景が待っている。

8月8日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.07.2008

松本サリン事件 あれから14年、ついに意識の戻らぬまま・・・ 編集手帳 八葉蓮華

松本サリン事件 あれから14年、ついに意識の戻らぬまま・・・ 編集手帳 八葉蓮華
父親は高校生の長男に告げた。「家にあるお金はこれだけだ。足りなければ保険を解約し、まだ足りなければこの家を売りなさい」◆松本サリン事件で当初、警察は第1通報者の河野義行さん(58)を容疑者扱いし、メディアは“疑惑の人”として報じた。意識不明の妻を気遣いつつ無実の逮捕に備える日々を河野さんは手記「『疑惑』は晴れようとも」(文春文庫)につづっている◆報道には抜きがたい不信感を抱いたが、捜査の非を鳴らすにはマスコミに頼るしかない。心情を吐露する相手として、河野さんは読売新聞を選ぶ。「中央の警察情報に強い“最大の敵”を味方につけ、全体の流れを変えようとした」という◆たしかに流れは変わったが、本紙を含む報道各社が警察情報を鵜呑(うの)みにすることで河野さん一家に精神的なリンチを加えた事実は動かない。「最大の敵」という言葉はいまも胸にうずく◆あれから14年、ついに意識の戻らぬまま、妻の澄子さん(60)がサリン中毒の後遺症で亡くなった。「わが家にとっての松本サリン事件が終わった」と河野さんは語った。報道に携わる者に事件の終わりはない。

8月7日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.06.2008

被爆の記録「屍の街」・・・ 編集手帳 八葉蓮華

被爆の記録「屍の街」・・・ 編集手帳 八葉蓮華
家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握っていると、炎が迫ってきた。瓦(が)礫(れき)に埋まった母が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ねようと思う◆少年は10歳ほど、頭に巻いた布に血が染みていた。原爆が落ちて3日後、作家の大田洋子さんは広島市内から避難するバスで乗り合わせた少年の言葉を、被爆の記録「屍(しかばね)の街」に書き留めている◆酸鼻を極めた描写は幾つもあったはずだが、8月6日がめぐりくるたびに浮かんでくるのはこの一節である。少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。わが子の手を振りほどく母親の、指の動きを瞼(まぶた)に描いてみる時がある◆広島の原爆忌から長崎の原爆忌へ、夏休みの“旬”ともいうべきこの季節は、手をつないで歩く親子連れに行く先々で出会う。平和であることのありがたさを絵にすれば、きっとこういう光景になるのだろう。握り、握られた指に目がいく◆廿日市(はつかいち)市の祖母を訪ねたバスの少年は、あれからどうしたろう。母の体温はいまも指の先に残っているか。息災ならば70代の半ばである。

8月6日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.05.2008

もう一度私を甘やかしてくれる… 編集手帳 八葉蓮華

もう一度私を甘やかしてくれる… 編集手帳 八葉蓮華
芥川竜之介の短編「世之(よの)助(すけ)の話」で、主人公が語る。子供のころ、手習いに行くといたずらっ子によくいじめられた。壮年を迎えたいまでも、墨の匂(にお)いをかぐたびに当時がよみがえると◆「大抵な事が妙に嗅覚(きゅうかく)と関係を持っている」という感懐は小説の世之助に限るまい。目で見、耳で聞いて思い出す昔もあるにはあるが、匂いが呼びさます記憶にはどこか、一瞬に押し寄せる津波にも似た不意打ちの荒々しさがある◆ビニールの浮輪の栓を抜いたときに鼻先をかすめる空気であったり、あるいは夕暮れどきの部屋に漂う蚊取り線香の煙であったり、何十年かの歳月を瞬時にさかのぼる匂いのタイムマシンは、人によりさまざまだろう◆遠出をしようにもガソリンはむやみに高いし、宿も列車も込み合うばかりだし、テレビで五輪の観戦はしたいし…と、今年は夏休みの旅行を見合わせた方もあるに違いない◆「子供の時の喜びと悲しみとが、もう一度私を甘やかしてくれる」。墨の匂いに触れる愉(たの)しみを、世之助はそう語っている。匂いの呼びさます遠い記憶に旅をして、思い出に甘える夏もたまにはいいだろう。

8月5日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.04.2008

青空とそよ風が演出した光景… 編集手帳 八葉蓮華

青空とそよ風が演出した光景… 編集手帳 八葉蓮華
聖火の最終ランナーは、原爆の日に広島県で生まれた青年だった。グラウンドからスタンドの頂点まで延びる階段を、トーチの白い煙をひとすじ長く引きながら、一直線に駆け上がっていく。抜けるような青空の中で、聖火台にオレンジ色の炎が点(とも)った◆東京五輪の記録映像を見ている。なんと見事な光景だろう。最高の舞台装置はあの晴天と微風である。どちらが欠けても駄目で、これはもう、人知を超えた存在が演出したとしか思えない◆聖火台への点火は開会式のクライマックスだ。最近の五輪では点火方法は秘密にされ、その瞬間に世界をあっと驚かす。前々回のシドニーでは、火を頂いた円盤が上昇して台座に納まった。前回のアテネでは、トーチを巨大化した“聖火塔”がいったん倒れ、先端に点火された後に再び立ち上がった◆北京の聖火台も、相当に派手な動きをするらしい。どんな演出で驚かせてくれるのか楽しみではある。が、奇抜な仕掛けを競う点火ショーは、ちょっとやり過ぎと思わぬでもない◆青空とそよ風が演出した光景が一番、と思うのは欲目だろうか。北京五輪は4日後に迫った。

8月4日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.03.2008

越後3大花火… 編集手帳 八葉蓮華

越後3大花火… 編集手帳 八葉蓮華
海の柏崎、川の長岡、山の片貝、とも呼ばれている。いずれも新潟県、中越地方の夏から秋を彩る花火大会だ。これを越後3大花火という◆中越沖地震は1年前の7月だった。柏崎市を中心に甚大な被害をもたらし、直後に予定していた花火大会は中止のやむなきに。しかし「海の柏崎」は先日、見事に復活した。日本海に花開く尺玉の300連発や100発一斉打ちなど、圧巻の極みである◆昨日と今日は2夜連続で「川の長岡」。最初の中越地震で最も被害を受けた長岡市の花火は、信濃川が舞台だ。三尺玉も有名だが、今では地震被害の復興を願って放つ「フェニックス」が主役に加わった。広い河川敷の各所から一斉に打ち上がる超特大スターマインが頭上を埋め尽くす◆来月初めには「山の片貝」が控えている。小千谷市の片貝町の山あいに、世界最大の四尺玉が轟(とどろ)き、被災地の花火を締めくくる◆越後に限らず、全国で光の泉に歓声が上がっていることだろう。暑さも、災厄も、花火は豪快に吹き飛ばす。相次ぐ天災や嫌な事件を、束(つか)の間忘れて、昨夜は「川の長岡」を思う存分、堪能させてもらった。

8月3日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.02.2008

水は溜まらない… 編集手帳 八葉蓮華

水は溜まらない… 編集手帳 八葉蓮華
「水も溜(た)まらず」とは刀剣がよく切れるさまをいう。「水も溜まらず切れにけり」(平家物語)などと使う。桶(おけ)の代わりに籠(かご)の釣瓶(つるべ)で井戸から水を汲(く)もうとしても、水は溜まらない。「籠釣瓶(かごつるべ)」とはよく切れる刀の異名でもある◆福田政権は籠釣瓶に似ている。国政の乱麻を断つ快刀内閣…というのではない。個々の閣僚が汗を流し、井戸端で綱の上げ下ろしに励んでも、「支持率」という水は一向に溜まらない、という意味である◆論外の社会保険庁、談合汚染の国土交通省、接待汚職の防衛省、居酒屋タクシーの諸官庁…と、政権が負った傷の大半は閣僚が握る綱の先、官僚という名の「籠」たちが招いた禍(わざわい)である◆綱の上げ下ろしに疲れたので選手交代を、という内閣改造だろう。汲み手を入れ替えても、しかし、籠が籠のままでは水は漏れつづける。快刀内閣に生まれ変わるには、閣僚が配下の官僚群に規律を取り戻し、隙(すき)のない「桶」に変えることから始めねばなるまい◆有効な政策を「つるべ打ち」できるか、できぬまま支持率が「つるべ落とし」で地に落ちるか、改造内閣の命運は“綱の先”で決まる。

8月2日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge

8.01.2008

値上げの話ばかり… 編集手帳 八葉蓮華

値上げの話ばかり… 編集手帳 八葉蓮華
日本書紀の一行目にいわく、「いにしえに天地いまだ剖(わか)れず、陰陽分かれざるとき、混沌(こんとん)たること鶏(とりの)子(こ)の如(ごと)くして…」。この世の姿は混沌として鶏卵のようであったと◆卵は黄身と白身に分かれ、混沌としてはいない。すき焼きを食べるときの溶き卵は別だが――と、考古学者の森浩一さんが「食の体験文化史」(中央公論社)に書いていた◆物の値段といえば以前は、原油などのように値動きの激しい品々と、変動がほとんどない“物価の優等生”に分かれていたはずである。どうやらいまは黄身と白身が入り乱れ、混沌とした溶き卵になりつつあるらしい◆このところ、月初めは値上げの話ばかりを聞かされるが、きょうから一部の冷凍食品やマーガリンなどが値上げになる。優等生の卵では、ブランド卵が飼料の高騰を受けて値上げ組に名を連ねている◆まど・みちおさんの詩「めだまやき」から。〈「めだまやき」ということばは いたい/いたくて こわい/いきなり この目だまに/焼きごてを当てつけられるようで…〉。卵に限らず、店先で値札を見る目にも、ふと「焼きごて」を感じそうな夏である。

8月1日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge