五輪の火が点じられる・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ひと月半ほど前、本紙の「読売歌壇」で知った一首がある。〈完封の投手の上げる雄叫(おたけ)びのなきまま長き勤め終りぬ 篠山市 清水矢一〉。定年を迎えた感慨という◆言われてみると、そう、会社勤めのなかで雄叫びを上げたことは一度もないな…。ゲームセットまでしばらく時間を残す身ながら、歌にうなずいた覚えがある。雄叫びはおろか、小さなガッツポーズの記憶さえ心もとない◆そのくせ、めった打ちされて放心している投手を見たときなどは、まるであの時の自分のようだ――と、仕事でしくじった記憶が冷や汗まじりによみがえるのだから、困ったものである◆〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として〉。4年前に死去した歌人、島田修二さんの一首も忘れがたい。敗者のなかに過去の自画像を見つける。スポーツ観戦の本筋かどうかは別にして、そういうほろ苦い愉(たの)しみも確かにある◆北京の聖火台にきょう、五輪の火が点じられる。どの競技といわず、天にこぶしを突き上げて雄叫びをあげる人の傍らには、うなだれて去りゆく背中があるだろう。いくつもの遠景が待っている。
8月8日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge