被爆の記録「屍の街」・・・ 編集手帳 八葉蓮華
家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握っていると、炎が迫ってきた。瓦(が)礫(れき)に埋まった母が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ねようと思う◆少年は10歳ほど、頭に巻いた布に血が染みていた。原爆が落ちて3日後、作家の大田洋子さんは広島市内から避難するバスで乗り合わせた少年の言葉を、被爆の記録「屍(しかばね)の街」に書き留めている◆酸鼻を極めた描写は幾つもあったはずだが、8月6日がめぐりくるたびに浮かんでくるのはこの一節である。少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。わが子の手を振りほどく母親の、指の動きを瞼(まぶた)に描いてみる時がある◆広島の原爆忌から長崎の原爆忌へ、夏休みの“旬”ともいうべきこの季節は、手をつないで歩く親子連れに行く先々で出会う。平和であることのありがたさを絵にすれば、きっとこういう光景になるのだろう。握り、握られた指に目がいく◆廿日市(はつかいち)市の祖母を訪ねたバスの少年は、あれからどうしたろう。母の体温はいまも指の先に残っているか。息災ならば70代の半ばである。
8月6日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge