血なまぐさいにおい・・・ 編集手帳 八葉蓮華
上方落語の煮売屋(にうりや)、いまでいう居酒屋の場面に、3種の怪しい“名酒”が登場する。飲んで村を出るころに醒(さ)める「むらさめ」、庭を出るころに醒める「にわさめ」、飲んでる尻から醒めていく「じきさめ」という◆スポーツ観戦で受ける感銘は「さめず」という名の美酒であってほしいと誰しも願う。北京五輪の場合はどうだろう。酔わせてなるかと言わんばかりの、中国当局による嫌な事件である◆新疆ウイグル自治区で警察部隊が襲撃された事件を取材していた東京新聞の写真部記者が武装警官に連行され、肋骨(ろっこつ)3本にひびが入る暴行を受けた。日本テレビの記者も顔などを殴られている◆人には想像力というものがある。取材中の外国人記者がこれだけの暴行を受けるのであれば、何かの嫌疑をかけられた中国人の住民は密室で一体どんな扱いを受けているのだろう。肋骨何本で済んでいるとは思えない◆開会式の華麗な祭りに息を呑(の)んだあとで、勝者とともに雄叫(おたけ)びを上げたあとで、敗者とともに涙ぐんだあとで、想像力はときに血なまぐさいにおいを運んでくるだろう。「じきさめ」の哀(かな)しい予感がする。
8月9日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge