8.13.2008

世の中は澄むと濁るで大違い・・・ 編集手帳 八葉蓮華

世の中は澄むと濁るで大違い・・・ 編集手帳 八葉蓮華
徳川家康が浜松城で武田信玄の軍勢に包囲されたとき、勝ちに乗る武田方は城中に一句を送った。〈松枯れて竹たぐひなき旦(あした)哉(かな)〉。「松」は徳川=松平、「竹」は武田を指す◆徳川勢が意気消沈するなかで酒井忠次が機転を利かし、〈松枯れで武田首無き旦哉〉と詠み直した。一同喝采(かっさい)したと、鈴木棠三(とうぞう)さんの「ことば遊び」(中公新書)に教わった◆濁点の付け替えで意味が一変するのも日本語の面白さだろう。〈世の中は澄むと濁るで大違い〉のあとに、〈刷毛(はけ)に毛があり、はげに毛がなし〉とつづけたり、〈墓はお参り、馬鹿(ばか)はお前だ〉とつづけたり、例は尽きない◆立秋を過ぎて暦の上で秋とはいえ、列島に厳しい残暑がつづく。夏の終わりを指す季語に「夏果て」がある。「夏ハテ」が先か、「夏バテ」が先か、競走の季節を迎えた◆諸式は高騰し、景気は視界ゼロの霧の中、どうやら夏バテが先かな…と、不安と期待が半々の目で閣僚の顔ぶれを眺める。国民の「ためになる」内閣と、愛想を尽かされて「だめになる」内閣と、総合経済対策の指揮をとる福田首相も澄むと濁るの分かれ道に立っている。

8月13日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge