聖火は消えても・・・ 編集手帳 八葉蓮華
夏の日盛りに羽根つきの音を聞いたのは10日ほど前である。自宅の向かいが小さな公園になっている。窓から眺めると、小学生の姉妹らしき二人が遊んでいた◆女子のバドミントンで日本の“スエマエ”ペアが世界の4強入りを果たしたころである。おもちゃの羽子板はラケットの代わりであったか。遠い昔、加藤沢男選手のつり輪をテレビで見たあと、狭い廊下で両手を壁に突っ張り、十字懸垂をまねたことを思い出した◆懸垂の少年は天分と根気に難があり、テレビ桟敷でほろ酔い加減の声援を送るおじさんになり果てたが、羽根つきの姉妹はどうだろう。北京五輪がきょう、幕を閉じる◆北島康介選手をまねて、畳の上で気持ちよく平泳ぎをした子もいただろう。内村航平選手の鉄棒を見て、逆上がりの練習をしに小学校の校庭に走った子もいただろう。祭りの終わりはたとえば8年後の、12年後の、祭りの始まりであるのかも知れない◆〈夢はつまり 想(おも)い出のあとさき…〉と、井上陽水さんは「少年時代」で歌っている。聖火は消えても、大人たちの胸に想い出の火は残る。子供たちの胸に、夢の火は残る。
8月24日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge