東京の夏は路地裏にいても涼しい。永井荷風は1919年(大正8年)の日記に書いている。いい風が吹き、〈避暑地の旅館に往(ゆ)きて金つかふ人の気が知れぬなり〉と
朝顔の鉢が置かれ、打ち水をしてある昔の路地は知らず、都心のビル街はそうもいかない。お盆の混雑を避けて避暑地に、というわけか、通勤の電車で旅装の家族連れを何組か見かけた
「コラムは、ねたみ、そねみ、ひがみ、三つの“み”から出発して書くものだ」とは野坂昭如さんの言葉である。東京残留組の常連である小欄も、ついねたましげな視線の文章を綴(つづ)りがちな季節だが、今年はどうもそういう気持ちが起きない
車内に花が咲いたようなにぎやかな子供連れの姿に触れて、むしろ何かホッとした心持ちになるのは、30年も前にシ亡していた111歳がいて、母親の育児放棄で儚(はかな)い人生を終えた幼子がいて、崩壊した「家族」のニュースがつづいたせいかも知れない
〈東京に取り残されて欣快(きんかい)ぞ朝の車内に歌集をひらく〉(吉竹純)。名も知らぬ家族よ、避暑地の楽しい夏を…と書いて、胸から湧(わ)き上がる“み”の字をぐっとのみ込む。
8月3日付 編集手帳 読売新聞
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