4.09.2010

さくらよりさくらに歩みつつおもふ悔恨・・・編集手帳 八葉蓮華

 〈踏めりしはシ体のいづこなりしやとこよひ高熱のこころ凍るを〉。シ体を踏んで歩いた、その感触が足裏に残る。あれは腕であったか、顔であったか…

 歌人の竹山広さんは25歳のとき、結核で入院していた長崎市内の病院で被爆した。安否の知れぬ兄を捜し、地獄絵図のなかをさまよったときの記憶だろう

 〈面倒なことだが孫よ人間はベッドでひとりひとりシぬのだ〉。歌の背後に、ベッドでシねなかった無数の人々がいる。告発も、あらわな怒りもないだけに、悲しみはいっそう深く染みとおる。竹山さんが90歳でシ去した

 どの歌も、声に出して読んでみたい流れる調べのなかに、しんとした静けさがある。たとえば、〈わが傘を持ち去りし者に十倍の罰を空想しつつ濡(ぬ)れてきぬ〉、あるいは〈ヨン様がゐぬチャンネルに切り替ふる心のせまき老人われは〉といった、諧謔(かいぎゃく)に富む歌の場合もそうである

 サクラの季節に逝った人に、その花を詠んだ歌があった。〈さくらよりさくらに歩みつつおもふ悔恨ふかくひとは滅びむ〉。人間の愚かさが行き着く果てを見届けた人だけが持ち合わせる静けさだろう。

 4月2日付 編集手帳 読売新聞
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge