中国明末の文人に李卓吾(りたくご)がいる。あらゆる世俗の権威を否定した異端の人である。いずれは為政者に焼かれるだろうと、著書の題名を『焚書(ふんしょ)』と付けた。最後は獄中で自シしている
〈中国には、自由を意味する言葉が見当たらない〉とは、東洋史学の泰斗、宮崎市定氏の所説である。あえて探せば、孔子の説いた徳目「仁」がそれに近いかも知れないと、『史記を語る』(岩波文庫)に書いている
知識と情報が書物によって伝えられた昔、為政者は禁断の書物を焼き捨てる“火”を重用した。インターネットの時代を迎えて、火は「検閲」に形を変えているのだろう
米グーグルが中国本土のネット検索事業から撤退するという。義務づけられている自主検閲を嫌った。李卓吾の例を引くまでもなくいつの世も、表現の自由を焼く火には投獄がつきものである。中国政府には、人権侵害のあれこれが連想される検閲をつづけることの不利益を一度、冷静に考えてみる機会だろう
「仁」の字を用いて、〈寛仁大度(かんじんたいど)〉(心がひろく、情け深く、度量の大きいこと)――そういう言葉も、かの国にはあったはずである。
3月25日付 編集手帳 読売新聞
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