江戸の浮世絵師、歌川豊春に辞世の一首がある。〈シんで行く地獄の沙汰(さた)はともかくも跡の始末は金次第かな〉。心にかかる「跡の始末」とは残していく借財か、あるいは葬儀のことか
作者未詳の歌もある。〈シんだとて知らせてやれば来にゃならぬ つい忘れたとうっちゃっておけ〉。二首の歌を引くまでもなく、葬儀を営む側には、費用の心配と、参列者をわずらわせる申し訳なさとがつきまとう
宗教学者、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)が売れているという。送る身、送られる身、思案する人が多いのだろう
洋画家の梅原龍三郎は〈葬式無用 生者はシ者の為(ため)にわずらわされるべからず〉と遺言状に記した。幾度か肉親を送った経験を顧みて、悲しみのあとに用意された葬儀という非日常の“異空間”に救われた気がしないでもない。日常のなかで真向かう喪失感はたぶんもっとつらかったろう。画伯の言葉に半分うなずき、半分うなずけずにいる
香華を供えつつ、送られた人の声も聴いてみたいところだが、いつものことで、何も答えてはくれない。春の彼岸も、あすで明ける。
3月23日付 編集手帳 読売新聞
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