「鐵(てつ)」という字を分解すれば〈金の王なる哉(かな)〉。「鉄」は〈金を失う〉。金運に恵まれる「鐵造」さんが「鉄造」さんでは気の毒だ。よって〈余(よ)は漢字制限に反対である〉
井上ひさしさんの長編小説『吉里吉里人』(新潮文庫)で主人公の三文小説家が力説する。漢字2字の対比の妙と、気取った口調に思わず頬(ほお)のゆるむ場面だが、笑ったあとの胸には知らぬ間に“宿題”が置かれている
日本語論に限らず、政治、経済、世相、歴史――何を描いても徹頭徹尾、読者サービスに努める井上文学は面白く、楽しい。「あなた、どう思います?」という宿題に気づくのはいつも、笑い疲れたあとである
かつて語ったことがある。「人間の愚かさが誰かに注意されて改まるならば、悲しみや怒りではなく、笑いによって注意を下されるべきではないだろうか」と。井上さんが75歳で亡くなった。人間というかなしく、おかしい存在が織りなす笑い、その笑いによる世直しが『ひょっこりひょうたん島』以来の、生涯を貫く創作哲学であったろう
訃報(ふほう)とともに部屋の照明がほんの少し落ちた、そんな錯覚のなかにいる。
4月13日付 編集手帳 読売新聞
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