当時12歳、詩人の立原道造は1927年(昭和2年)1月の日記に書いている。「今日ノニワカ雨ハ僕ニトツテハ偉大ナル打撃ダツタ」。傘をなくしたという◆「月プデオ母サンニ支払フコトニシテ買ツテ来テイタダイタ」と、つづく。新しい傘の代金はどうやら、小遣いから母親に月賦で返済したらしい。なるほど、打撃であったろう◆何日か前の本紙投稿欄「気流」(東京版)で、ビニール傘のポイ捨てを嘆いた一文を読んだ。50代の主婦の方で、筆は家庭内の会話に及ぶ。小雨の日、傘を持って出るよう子供に告げると、「いいよ。100円の傘でも買うから」と出て行った。「物を大切に使うことを教えていかなければ…」と結ばれている◆省みれば、お子さんと同類の身である。捨てはしないが、物置には使われぬ傘が何本も眠っている。叱(しか)られた気分で首をすくめた。梅雨の残り、もう横着はすまい◆日記には、「甚大ナル…」ではなく「偉大ナル打撃」とあった。おのが懐を痛めることで物を大切にする心を学んだ、という意味ならば、栴檀(せんだん)のみならず道造少年の言葉選びも“二葉より芳し”である。
6月20日付 編集手帳
八葉蓮華、Hachiyorenge