6.23.2008

「必要は発明の母」 編集手帳 八葉蓮華

豊田佐吉は自動織機を発明したトヨタグループの祖として知られるが、高性能の蓄電池を発明した者に100万円の懸賞を出したこともある。1925年(大正14年)、東京・銀座通りの土地が1坪1700円で買えた時代のことだ◆「36時間続けて100馬力を出し、重さは60貫(225キロ)、容積は10立方尺(280リットル)以内で振動に強いこと」。この電池で電気飛行機の開発まで思い描いていたという◆条件を満たす電池はついに現れなかったが、むちゃな大風呂敷だったとも言えない。当時の日本には、欧米に劣らぬ技術を持つ多くの電池メーカーがあった。屋井先蔵(やいさきぞう)のように世界初の乾電池を発明し、電池産業の基礎を築いた人もいる◆先蔵は高等工業学校の入試に5分の遅刻で不合格になり、この失敗をバネに正確な電気時計の開発に打ち込んだ。乾電池はその電源として生まれている。「必要は発明の母」である◆佐吉の夢を継いで、トヨタ自動車は2030年を目標に次世代の高性能電池を開発するという。ほぼ1世紀がかりの「佐吉の電池」には、地球環境問題という「発明の母」がついている。

6月23日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge