“残り時間”の過ごし方を綴(つづ)って忘れがたい文章がある。〈「いのち」の終りに三日下さい/母とひなかざり/貴方(あなた)と観覧車に/子供達に茶碗蒸(ちゃわんむ)しを〉(高知県・下元政代)。日本一短い手紙『一筆啓上賞』の秀作集にある
残り時間が無情にも区切られるのは「いのち」だけではない。「ひかり」のときもある。いつ失明しても不思議でない――医師からそう宣告されたとき、人は何をするのだろう。その人は土俵に立つことを選んでいる
この名古屋場所に力士としてデビューした大相撲の序ノ口西29枚目、「徳島」(15)(本名・田中司さん、香川県出身、式秀(しきひで)部屋)の記事を読んだ
まだ有効な治療法のない目の難病、レーベル病によって徐々に失われた視力は現在、左目0・01、右目0・3、「目が見える限り、土俵に立ちたい」という。歴史学者、津田左右吉(そうきち)の歌を思い出す。〈明日いかにならむは知らず今日の身の今日するわざにわがいのちあり〉。その人には今日の突き一つ、押し一つが“わがいのち”に違いない
今場所は中止でもいい、と考えたことがある。開催されてよかったと、いまは思う。
7月14日付 編集手帳 読売新聞
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