8.04.2009

うつむくな「自分の見果てぬ夢」まっすぐ顔を上げて生きよう・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 実況したNHK飯田次男アナウンサーの涙声をご記憶の方もあろう。「古橋選手は戦後日本の光明でした。敗れた古橋選手を日本の皆様、どうか責めないでください」

 日本が五輪に復帰した1952年(昭和27年)のヘルシンキ大会で、選手としての最盛期を過ぎていた古橋広之進さんが無冠に終わったときの放送である

 4年前、敗戦国日本はロンドン五輪に招かれなかった。日本水泳連盟は五輪と同じ日程で、“裏五輪”の国内大会を東京で開く。招かれざる者の、奥歯をぎりぎり食いしばる音が聞こえよう。古橋さんは2種目で五輪優勝タイムを上回る記録を打ち立てた

 戦争に敗れても、占領下でも、うつむくな。まっすぐ顔を上げて生きよう。自信を喪失していた人々がどれほど励まされたか、「戦後日本の光明でした」という実況の言葉に尽きている

 水泳の世界選手権が開かれているローマで古橋さんが急逝した。80歳という。自分の見果てぬ夢であったロンドン五輪を目指す選手たちを、最後まで見守りつづけた。顧みてその人に、プールサイドの国旗掲揚ポールほど似つかわしい墓標を知らない。

 8月4日付 編集手帳 読売新聞
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