ばあさまが山に捨てられることになり、せがれに背負われて深い深い山にのぼったそうな。ばあさまをそこに置いて帰りかけたせがれはおりる道を見失う。仕方なく、いま捨てたばかりの母親のもとに戻り、たずねた。どうすべえか
ばあさまは言ったそうな。「おめえの背中にぶっつわりながら、道みち、枯れ枝をおっくじいて道しるべにしてきたから、それをたよりにけえれや…」と
東北地方に伝わる民話を本で読んだのは、いつだったか。知らず知らず、ばあさまの顔がその人の顔になり、その人の声でばあさまの言葉を聴いていたのを思い出す
そういう幻影も、30歳から「おばあさん」を演じ、至芸の高みを極めた人なればこそだろう。劇団民芸の北林谷栄さんが98歳でシ去した。朝市で見かけた行商の婦人が着ている服をその場で買い取ったり、歯を6本抜いて表情を変えたり、役にのめり込む執念の逸話も残っている
「妣」という字がある。漢和辞典に「生前は母、死後は妣という」とある。銀幕の、テレビの北林さんにどれだけの人が亡き母の面影を重ねただろう。妣の後ろ姿を、そっと見送る。
5月8日付 編集手帳 読売新聞
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