7.16.2009

生き延びた者の、発言する「責任」言葉のもつ力に、粛然と襟を正さずにはいられない・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 美空ひばりさんに、「一本の鉛筆」(松山善三作詞、佐藤勝作曲)という35年前の歌がある。〈一本の鉛筆があれば/八月六日の 朝と書く/一本の鉛筆があれば/人間のいのちと 私は書く…〉

 広島・長崎の被爆からまもなく64年、“一本の鉛筆”を手に取った人がいる。世界で活躍するデザイナーの三宅一生さん(71)が米紙に寄稿し、自身の被爆体験を明かしたうえで、オバマ大統領に広島訪問を呼びかけた

 7歳のときに広島で被爆した三宅さんはこれまで、体験談や感慨めいたものは語らずにきた。「原爆を生き延びたデザイナー」といったレッテルを張られるのが嫌で、広島についての質問は避けてきたという

 核廃絶に言及したオバマ氏の演説が「私の中に埋もれていた何かを呼び覚ました」と、書いている。何か――とは生き延びた者の、発言する「責任」であると。ひとつの演説が胸を揺さぶり、“一本の鉛筆”に封印が解かれる。言葉のもつ力に、粛然と襟を正さずにはいられない

 三宅さんのお母さんは放射線を浴びて亡くなった。〈一枚のザラ紙があれば/あなたをかえしてと 私は書く…〉

 7月16日付 編集手帳 読売新聞
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