7.25.2009

歌舞伎座 建て替え「さよなら公演」伝統芸の来し方を顧みる・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 歌舞伎の六代目尾上菊五郎が「祭囃子(ばやし)」というラジオ放送劇に出演したことがある。火打ち石を使う場面があり、六代目に代わって効果音係が自分で石を打ち、事前に録音しておいた

 本番の前、録音テープを聴いた六代目が「おれの役は左利きか…」と言う。いまの音は左手で打っている音だ、と。効果音係が頭をかきながら、「私は左利きです」と名乗り出たという。放送に立ち会った劇作家の宇野信夫が随筆に書き留めている

 舞踊にひいで、「腰に神が宿る」と評された人は耳の良さも尋常でなかったらしい。惜しまれつつ世を去ったのは1949年(昭和24年)7月、没後満60年を迎えた

 歌舞伎座は建て替えが決まり、来年4月まで続く「さよなら公演」に連日のにぎわいを見せている。忌日の節目といい、ふと立ち止まっては伝統芸の来し方を顧みる芝居好きも多かろう

 亡くなる数日前、身動きもならぬ名優を憐(あわ)れみ、周囲の人々が思わず泣き出した。押し殺した声が卓越した耳に届いたか、六代目はつぶやいたという。「まだ早い」。命の瀬戸際で語った名ぜりふ――と、これも宇野の文章にある。

 7月25日付 編集手帳 読売新聞
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