四季折々の美しい水田風景・・・ 編集手帳 八葉蓮華
俗謡に、〈わらじ切れても粗末にするな、ワラはお米の親じゃもの〉とある。わらじを履く機会はもとより、ワラを目にすることも都会では稀(まれ)になったが、そのカレンダーをめくっては「なるほど親だな」と、ひとりうなずいている◆9月のページには、いかにも生命を抱いたように稲穂が黄金色に輝いている。刈り取りを終えた11月の「わらぐろ」(ワラを積み上げた山)は穏やかに色あせて、子を独り立ちさせた親の安堵(あんど)と寂しさをたたえている◆立正大学名誉教授の富山和子さんから来年の「日本の米カレンダー」を頂いた。四季折々の美しい水田風景の写真に、日本の文化の根は米づくりのなかにあるというメッセージを添えて、創刊20年になるという◆目のさめる青田のみどりから、実りの黄金色を経てワラの枯色(かれいろ)へ、やがては土に還(かえ)り、子孫を養う肥料となる。人生の営みを映すかのような、母なる文化とはそういうものかも知れない◆国文学者、沼波瓊音(ぬなみけいおん)の句。〈秋刀魚(さんま)出(い)でたり一等米をあつらへよ〉。親元を離れた自慢の子たちが食卓を飾る秋である。わくわくと、少ししみじみと、秋刀魚に向かう。
10月3日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge