10.11.2008

我々の生のような花火・・・ 編集手帳 八葉蓮華

我々の生のような花火・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ひとまねを批判して江戸の庶民は「株っかじり」と呼んだ。ひとのお株をかじり取る…。明治の初め、鹿鳴館が帝都に壮麗な姿を現したときも、一部の人々から同じ言葉を浴びたらしい◆外国からの賓客や外交官を接待する社交場だが、着慣れない夜会服で連夜の舞踏会に明け暮れる政府の高官たちが、庶民の目には西洋のあさはかな猿まねのようにも映ったのだろう◆千代田区内幸町、鹿鳴館のあった場所にはいま、大和生命保険の本社が立っている。米国の金融危機にはじまった世界的な株安で巨額の含み損を抱え、経営が破綻(はたん)した◆株高が会社の資産を増やし、増えた資産が株高を呼ぶ…。顧みれば世界経済の繁栄とは一面で、株高頼みの米国流経営術を「株っかじり」しながらの、うわべのみが華麗な舞踏会であったのかも知れない◆芥川龍之介の短編小説「舞踏会」に鹿鳴館階上バルコニーの場面がある。フランス人の青年将校が花火を眺め、日本人の令嬢にそのはかなさを告げる。「我々の生(ヴイ)のような花火…」。我々の生のような――経営者の弱気のつぶやきが、米国から世界に広がりつつあるのが怖い。

10月11日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge