10.12.2008

旅に病で夢は枯野をかけ廻る・・・ 編集手帳 八葉蓮華

旅に病で夢は枯野をかけ廻る・・・ 編集手帳 八葉蓮華
〈旅に病(やん)で夢は枯野(かれの)をかけ廻(めぐ)る〉。芭蕉翁は最期の床でそう詠んだが、格別に辞世の句として遺(のこ)したわけではなかった。門人には「平生則(すなわ)ち辞世なり」と説いている。常に日々を大切に生き、句作してきたということだろう◆実際に亡くなった旧暦10月12日とは、ひと月余り季節がずれるものの、きょうを芭蕉忌とする行事も多い。翁(おきな)忌ともいう。だが、年譜を見ると享年は数えで51だ。満なら50歳になるかならないか◆隅田川のほとり、東京・深川の芭蕉庵(あん)史跡庭園で翁の像と向かい合ってみた。当時としても若くして年長に見られた人らしい。とはいえ、今日の同世代とは雰囲気があまりに違う。現在、日本人の平均寿命は男性79・19歳、女性は85・99歳。芭蕉の時代よりはるかに長い◆無論、長寿は喜ばしい。問題は人生が豊かになっているのかどうか。平生則ち辞世、などと思索する間もなく日々はあわただしく過ぎる。現代の50歳が翁に近い風貌(ふうぼう)になるころ、頼りの年金や医療は少々心もとない◆芭蕉翁が今、数十年長い人生を過ごせばどうだろう。思う存分に「侘(わ)びしきを面白がる」ことになっても困る。

10月12日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge