母のいまはの その声を返せ・・・ 編集手帳 八葉蓮華
生まれる前の子供たちがこの世に降り立つべく、船に乗る。生まれたら、お前は何の職に就くのかい? 「時」の番人が尋ねる。メーテルリンクの「青い鳥」である◆「時」の番人だから未来はお見通し…と思えばそうでもない。医者になると告げた子供に文句を言った。「もうたくさんなのに。地上は医者でいっぱいなんだ」(堀口大学訳、新潮社)◆また医師不足の悲劇である。脳出血を起こした都内の妊婦(36)が七つの医療機関で受け入れを断られ、出産後に死亡した。赤ちゃんは無事という◆最終的に受け入れた都立病院は24時間どんな患者も診る救急病院、いわゆるERである。そこでさえ産科の当直医は1人で、いったんは受け入れを断った。ERの仏を作っても医師という魂が入らなければ、悲劇はまたどこかで繰り返すだろう。医療改革は一刻の猶予もならない◆翻訳者の詩人、堀口大学は物ごころのつかぬころに母を亡くしている。「母の声」という詩がある。〈三半規管よ/耳の奥に住む巻貝よ/母のいまはの その声を返せ〉。その赤ちゃんもいつの日か、同じ言葉を自分の耳に語るだろう。
10月23日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge