ごめんねとおもいきり抱いてやりたい・・・ 編集手帳 八葉蓮華
〈吹けば飛ぶよな将棋の駒に…〉。作曲家の船村徹さん(76)は西條八十から「王将」の詞をもらったとき、盤に駒を並べ、息を吹きかけてみたという。本当に飛ぶのかと◆一字一句をおろそかにしない。歌手志望のお弟子さんには、「カラオケ教室ではないから」と歌唱の技術は教えず、心をこめて歌詞を千回も二千回も繰り返し読ませる。「別れの一本杉」「みだれ髪」「兄弟船」など船村演歌の名曲は、歌詞に浸り尽くすなかで生まれたのだろう◆船村さんが今年度の文化功労者に選ばれた。ノーベル賞の受賞会見で涙を見せた物理学者の益川敏英さんは「老人性涙腺軟弱症ですね」と照れ隠しに語ったが、船村メロディーに弱い「船村性涙腺軟弱症」の患者も世には多かろう◆船村さんがみずから詞を書き、ギターの弾き語りで歌う「希望(のぞみ)」という曲がある。各地の刑務所を慰問に歩き、女性受刑者に心を寄せてできた歌だという◆〈ここから出たら旅に行きたい/坊やをつれて汽車にのりたい/そしてそして静かな宿で/ごめんねとおもいきり抱いてやりたい〉。文字がにじんできた。われながら重症である。
10月30日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge