11.08.2008

創業家一族は経営の一線から身を引いた・・・ 編集手帳 八葉蓮華

創業家一族は経営の一線から身を引いた・・・ 編集手帳 八葉蓮華
別れにもいろいろある。源義経は兄に疎まれて諸国を流浪した。明智光秀は天下人になろうとして主君織田信長に逆心を抱いた◆義兄の松下幸之助氏と袂(たもと)を分かって三洋電機を興した井植歳男(いうえとしお)氏は、ときに「義経」、ときに「光秀」と世間で陰口を言われたらしい。実際には円満な独立であったといい、「(自分にも義兄にも)迷惑な話である」と、自叙伝「私の履歴書」(日本経済新聞社刊)に書いている◆後年、義兄と同じ飛行機に乗り合わせた折、「世間の誤解を解くために一つの仕事を一緒にやろう」、そう語り合った、とある。こういう形の“一つの仕事”を予期していたかどうか。三洋電機がパナソニック(旧・松下電器産業)の子会社になるという◆三洋電機では昨年、歳男氏の孫にあたる社長が経営不振の責任を問われ、創業家一族は経営の一線から身を引いた。幸之助氏の興した松下電器産業は先月、世界の優良企業に飛躍するべく社名から松下の名前を消した◆「松下」と「井植」、創業家が色あせたのち、故人同士が交わした機上の約束が実を結ぶ。歳月はいつも皮肉な仕掛けを用意している。

11月8日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge