11.26.2008

“今思へば皆遠火事のごとくなり”34年前の仇討ち・・・ 編集手帳 八葉蓮華

“今思へば皆遠火事のごとくなり”34年前の仇討ち・・・ 編集手帳 八葉蓮華
ものがゆるみ、ほどけ、流動し、とけていく。名詞の「時」は動詞の「解ける」と語源を同じくする、という仮説を唱えたのは、今年7月に亡くなった国語学者の大野晋さんである◆34年の歳月を肌で知りたくて昭和史をひもといている。1974年(昭和49年)は田中内閣が金脈問題でつぶれ、巨人軍の長嶋茂雄選手が引退した年である。「狂乱物価」が流行語になり、森進一さんの「襟裳(えりも)岬(みさき)」が街に流れていた◆身を顧みれば10代の終わりで年ごろ相応に傷つき、人を傷つけもしたはずだが、時が解かしたらしい。能村登四郎さんの句〈今思へば皆遠火事(とおかじ)のごとくなり〉で、何ひとつ憶(おぼ)えていない◆元厚生次官宅を襲った男(46)は当時小学生で、飼い犬が保健所で処分されて傷ついたという。「34年前の仇(あだ)討ち」と報道機関に寄せた犯行告白のメールにある。歴代次官ら10人の殺害を計画した男にとって歳月とは何だったのだろう◆家賃をきちんと払いながらも定職はなく、収入源は不明である。誰と接し、どういう生活をしていたのか、男の謎めいた「現在」という時を解かねば、事件の終わりは見えてこない。

11月26日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge