夢にても逢ふこそ嬉しけれ・・・ 編集手帳 八葉蓮華
〈こは夢か…〉と老人は疑う。これは夢なのか、〈夢にても逢(あ)ふこそ嬉(うれ)しけれ〉と。幼いころ、人さらいに連れ去られ、行方知れずになった息子と年老いてめぐり会う物語、能の「木賊(とくさ)」である◆市川トミさんに、その時は訪れなかった。1978年(昭和53年)8月、鹿児島県・吹上浜のキャンプ場から北朝鮮の工作員に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母である。再会を夢に見つつ、91歳で亡くなった◆河村官房長官は記者会見で「慚愧(ざんき)の念に堪えない」と述べている。国民に信を問うこともできず、内政で打ち出す政策ひとつにドタバタを演じる麻生政権が北朝鮮に足元を見透かされ、なめられているのは確かだろう◆〈こは夢か〉と狂喜の涙に濡(ぬ)れながら、帰還したわが子を胸に抱きしめる瞬間を、被害者の家族は一日千秋の思いで待っている。その人たちも老いていく。圧力であれ、圧力を背景にした対話であれ、行動の伴わない「慚愧の念」ならば意味がない◆91歳といえば普通は、長寿に恵まれての大往生と評される年齢だろう。その訃報(ふほう)には、ただ「嗚呼(ああ)」の一語をおいて語る言葉を知らない。
11月18日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge