鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも・・・ 編集手帳 八葉蓮華
石川啄木には「そういえば自分も…」と読む人を物思いに誘う歌が多い。この一首もそうだろう。〈鏡屋の前に来て/ふと驚きぬ/見すぼらしげに歩むものかも〉◆終電の車窓やエレベーター奥の鏡に自分を見つけ、人相の悪さにドキリとすることがある。それでいて普段は、ひとの人相に内心あれこれ文句をつけている。身近に鏡がないことは、能天気に暮らす条件かも知れない◆「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い」。麻生首相が公式の場でそう述べた。不明朗なカネや見識を疑う放言で閣僚が性懲りもなく入れ替わる昨今、「政治家には…」と聞き違えた人もいたはずである。官邸には鏡を置くべきだろう◆日本医師会の抗議を受けて「不適切な言葉遣い」を謝罪したが、特定の職業集団をあげつらっての侮辱は差別にもつながるもので、後味の悪い失言である◆いずれは総選挙という有権者の「鏡」に身を映す。漢字の読み方に言葉遣いと、首相の仕事が小学生の勉強並みに大変なことは分かるが、つまらない失言をしていて啄木と同じ感慨に浸りはしないか。ひとごとながら気にかかる。
11月21日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge