「北国から雪の便り」白魔はなおも跳りつづけていた・・・ 編集手帳 八葉蓮華
日本の絵画を集めた展覧会がオーストラリアで催されたとき、ひとりの男性が一枚の絵の前にじっと立ちつくし、しきりに感心していた。扇の形をした紙「扇面(せんめん)」に描かれた風景画であったという◆男性が語ることには、自分はトラックの運転手だが、「雨の日にフロントガラスのワイパーの跡から見える風景だね」と。画家の安野光雅さんが演出家の故・吉田直哉さんから聞いた話として、ある対談で語っている◆札幌市で除雪の路面電車「ササラ電車」が早くも走りはじめるなど、北国から雪の便りが届く季節になった。扇面の白い絵を前にしてハンドルを握っている方もおられよう◆路面が凍結し、タイヤが滑りやすくなる。扇の外側には神経も届きにくい。どうか気をつけて…と、季節感を愉(たの)しむ前に用心の言葉が浮かんでくるのは、痛ましい輪禍の記憶が幾つも残るなかで迎えた冬のせいだろう◆〈白魔(はくま)はなおも跳(おど)りつづけていた〉とは武田麟太郎が戦前に書いた「雪の話」の一節だが、激しい降雪はいまも新聞の見出しなどで、ときに「白魔」と呼ばれる。美しい扇形をした雪景色にも魔は潜んでいる。
11月29日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge