以前、本紙に載った歌がある。〈仕方なく堕(おろ)そうとした子供より真心こもる介護うけゐつ〉。作者は86歳の女性である。何かの事情から、産むか、産まないか、迷った昔があったのだろう
あのとき、人工中絶を選んでいればこの世にいなかったはずの子が、いまでは老いたわが身の世話をしてくれる。歳月の感慨と、お腹(なか)に宿った命の芽の尊さをうたって一読、忘れがたい
その尊さを忘れた医療現場での事故である。香川県立中央病院で不妊治療を受けていた女性患者に、別の患者のものとおぼしき体外受精の受精卵を医師が誤って移植した。女性は結局、人工中絶のやむなきに至ったという
うかつにも作業台に受精卵の容器を複数置き、取り違えたという。人を幸福にする高度な技術を身につけながら、「整理整頓」という小児並みの約束ごとが守れぬばかりに悲劇を招く。人類とは利口なのか、馬鹿(ばか)なのか、分からなくなるときがある
取り違えがなければ、妊娠9週目で生を終えた命は、本来移植されるべき母の胎内で育っていたか。何十年か後に、老いた親を優しく介護する子であったかも知れない。
2月21日付 編集手帳 読売新聞
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