7.04.2008

「万葉びとから…」 編集手帳 八葉蓮華

万葉集にある。〈恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 吾妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門を 過ぎて行くらむ〉。恋しいあの娘がわが家の前を通る。ああ、おれに死ねと言っているようなものだ…◆国文学者の中西進さんが著書に書いていた。「思春期の教室風景のようではないか」と。そういえば、片想(かたおも)いの相手が廊下を通るとき、教室のなかで頭を抱えた昔があったような、なかったような◆心ふさぐ日は〈飛びたちかねつ鳥にしあらねば〉と思い、心なごむ団欒(だんらん)のときは〈まされる宝 子にしかめやも〉にうなずく。万葉びとから、ときに慰めの、ときに祝福の手紙をもらったような気持ちになるのも、この歌集をひもとく愉(たの)しみである◆全20巻の最後を締めくくる一首が詠まれて、来年で節目の1250年を迎える。それを記念して小紙などが主催し、“平成の素顔”を伝える短歌、「平成万葉集」の募集も始まった。題材は自由、はるか未来に宛(あ)てた書簡集になるだろう◆何十年後、あるいは何百年後か、あなたの歌に傷心を慰められる人がいるかも知れない。遠い日の廊下をすまし顔で通った子はいま、どうしているだろう。

7月4日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge