7.01.2008

「落書きをした面々…」 編集手帳 八葉蓮華

エジプトで技術をつかさどる神、テウトが文字を発明した。神々の王タモスの前に出て、文字を広めましょうと進言した。人々が文字に頼りすぎるようになりはしないか――と、王は問うた◆「ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになる…」だろうと◆プラトンの著述「パイドロス」(岩波文庫)の一節である。旅をした記念に自分の名前などを落書きし、あとでその旅の記憶をたどる“よすが”とする。内から思い出すことをしない、できない、困った人たちがいる◆短大生、大学生、今度は高校野球部の監督という。イタリア・フィレンツェの世界遺産「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に落書きをした面々である。せっかくの旅を幼稚な出来心で、記憶から抹消したい痛恨の旅に変えるのではつまらない◆目に映る像でもいい。匂(にお)いでもいい。手触りでもいい。旅の思い出を胸の石板に刻む彫刻刀はいくつもあるだろう。「しばし、文字を忘れよ」と、タモス王の声が聞こえる。

7月1日付 編集手帳 読売新聞

八葉蓮華、Hachiyorenge