関西で生まれ育ったその人は阪神ファンであったらしい。首位阪神が逆転勝ちを収めた日の日記にある。「4ゲーム開いたのでちょっと安心。私の病気も今日の阪神の試合のようにはいかないものか」◆阪神の元気がいい夏を迎えるたび、書棚に手が伸びる一冊がある。映画にもなった「愛と死をみつめて」のミコ、大島みち子さんが病床で綴(つづ)った「若きいのちの日記」(大和書房)である◆同志社大学に入学した年の夏、顔に発症した軟骨肉腫(にくしゅ)で入院した。難しい手術を繰り返し、命の消(しょう)尽(じん)をときに絶望の、ときに淡い希望を交えた目で見つめながらも、日記は周囲の人々に寄せた感謝の言葉で満ちている◆同室の患者に食事の世話をし、代わって洗濯をし、「人につくせることは何と幸せか」と書く。不幸や不運の鬱憤(うっぷん)をかかわりのない他人を傷つけることで晴らす者が後を絶たない昨今、読み返すたびに心が洗われる◆日記に歌がある。〈枕(まくら)辺(べ)を強く流れるツイストに/病む青春の静かさを知る〉。病魔を相手の逆転がかなわぬまま、21歳で死去したのは1963年(昭和38年)の8月、まもなく45年になる。
7月12日付 編集手帳 読売新聞
八葉蓮華、Hachiyorenge