中国人の対日観や日本人との交流・・・ 編集手帳 八葉蓮華
百年ほど前の清朝末期に盛宣懐(せいせんかい)という中国人の高級官僚・実業家がいた。8年前まで東京・芝公園で40年余り続いた中華料理の老舗「留園」の経営者で文筆活動でも知られた華僑、盛毓度(せいいくど)さんの祖父だ
盛宣懐は、祖国の経済建設のためと、自分の病気の治療を兼ね、3か月間、日本に滞在した。時は明治41年(1908年)秋、日本が日露戦争に勝利した3年後で、日中関係も良好な時代だった
盛は、北里柴三郎の診察を受ける一方で、日本の通貨政策、製鉄技術、鉄道建設などの知識を求めた。滞在中に伊藤博文、山県有朋、大隈重信、松方正義、小村寿太郎、後藤新平、高橋是清、三井八郎右衛門ら錚々(そうそう)たる人物と相次いで面談した。中国に図書館を開設するため日中双方の書籍も買い求めた
盛の来日百周年を記念して今月発刊された、当時の日本滞在日記や書簡を集めた『中国近代化の開拓者・盛宣懐と日本』(中央公論事業出版)には、古い東京の光景なども登場する
清朝末期のエリート中国人の対日観や日本人との交流ぶりを読み進むにつれ、現在の中国指導者の姿が二重写しになり興味は尽きない。
12月29日付 編集手帳 読売新聞
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