詩人で評論家の有馬(ありま)敲(たかし)さんに、「ヒロシマの鳩(はと)」という詩がある。被爆地の空を舞う鳩に呼びかけて言う。〈近くの球場から聞こえる/大歓声よりも高く鳴け/苦、苦、苦、苦、苦〉
張本勲さん(68)の半生をたどるとき、鳩の声がする。広島での被爆、幼時の大やけどで右手に残った障害、在日韓国人二世としてなめた辛酸、家計の窮迫――これでもかと「苦」が続く
野球を学びに大阪の高校へ進むとき、亡き父親に代わって一家を支える兄は、月々2万3000円の給料から1万円を仕送りしてくれたという。試合後も毎夜300本は欠かさなかった素振りと肉親の情愛から、安打3085本の日本プロ野球記録は生まれている
イチロー選手(35)が日米通算の安打数で張本さんの記録に並んだ。30年に及ぼうという歳月を、ただ一人の登山者も寄せつけずにきた大記録の名山を仰ぐ
先のWBC大会では不調にあえぎ、メジャー開幕には胃潰瘍(いかいよう)を患って出遅れ、イチロー選手も試練の雨風に打たれて頂上に立った。3085メートルならぬ「3085本」の霊峰にはいまも、〈苦、苦、苦…〉と鳴く鳩が棲(す)むらしい。
4月17日付 編集手帳 読売新聞
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge