棺(ひつぎ)はない。肋膜炎(ろくまくえん)で死んだ生後3か月の男児を日章旗でくるみ、錘(おもり)をつけて海に沈めた。移民船でブラジルに渡る人々を描いた石川達三「蒼氓(そうぼう)」の一場面である
赤痢、皮膚病、「まるで病院船のよう」な船内で人々は、別れを告げた故郷の歌を披露し合う。〈能代春慶、檜山(ひやま)納豆、大館曲げわっぱ〉と秋田音頭を、〈四角四面のやぐらの上でエ〉と八木節を、〈安来名物、荷物にゃならぬ〉と安来節を歌った
悲しみと不安を忘れさせてくれるものは歌だけだったのだろう。そのようにしてブラジルに渡り、貧困や差別に歯を食いしばって根を張った日系移民の人々も、いまは孫、ひ孫の世代である
祖父母が心の支えにした日本の歌を、どうか一緒に――と、作曲家の船村徹さんを特別顧問にして「歌の使節団」が9月にサンパウロ市を訪問し、日系移民と交歓の時をもつ。使節団のメンバーは一般から募るという
〈節榑(ふしくれ)立ったあの手と怒り肩/想い出すんだ 武骨な我が祖父を…〉。もず唄平作詞、船村徹作曲「みかえり富士」にある。祖父母がつらい涙でうたった歌を、追慕の涙で口ずさむ人もいるだろう。
6月3日付 編集手帳 読売新聞
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