6.16.2009

世の安寧という「同じ高嶺の月」がいまほど切実に恋しい時もない・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 古い道歌にある。〈分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺(たかね)の月を見るかな〉。宗派(道)は違っても、仏教のめざす真理(月)は一つであると。その記事を読みつつ、一首を口ずさむ

 天台宗総本山・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の座主がきのう、高野山真言宗総本山・金剛峯寺(和歌山県高野町)を公式に参拝した。両宗の約1200年におよぶ歴史で初めてという

 真言宗の開祖・空海と天台宗の開祖・最澄はともに唐で仏教を学んだ仲だが、晩年は交流が途絶えた。書物から学ぶ「筆授」にも重きをおく最澄と「修行」を絶対とする空海と、〈分け登るふもとの道…〉の行き違いが両宗の長き疎遠を生んだ一因とも伝えられる

 交流の途絶える前、最澄が空海のもとに寄せた書簡(国宝、奈良国立博物館所蔵)がある。「久隔清音」(久シク清音ヲ隔テ=長いこと、ご無沙汰(ぶさた)で…)とはじまる。両宗の間でもこれを機に、「清音」(澄んだ声)の語らいが持たれることだろう

 顧みれば国内といわず、東アジアといわず、中東といわず、世の安寧という〈同じ高嶺の月〉がいまほど切実に恋しい時もない。

 6月16日付 編集手帳 読売新聞
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