6.28.2009

林芙美子「放浪記」市井に生きる人々に優しく接し、慕われていたらしい・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 林芙美子の「放浪記」第三部は、読売新聞に送った詩が「長くて載せられぬ」との理由で送り返されてきた、と憤慨するくだりから始まる。大正期の無名時代だが、小紙ももったいないことをした

 それでもその後、読売新聞が依頼した仕事を快く引き受けてくれたようである。昭和の初めにパリ滞在記を書いたり、取材用飛行機のお披露目に上空からの眺めを連載したりもしている

 1951年(昭和26年)のきょう、47歳で急逝した。半生にもとづく「放浪記」が森光子さん主演の舞台で上演2000回を数えたことは、ご存じの通り 

 命日が男女共同参画週間(23~29日)に重なるのは偶然ながら、ふさわしい気もする。後進の女性作家の足を引っ張ったと批判され、葬儀では川端康成が「故人を許してやってください」とあいさつしているが、それほどにあの時代、男に伍(ご)していくのが容易でなかったのだろう

 貧乏を肌身に刻んだ苦労人は、市井に生きる人々に優しく接し、慕われていたらしい。近所のおかみさんが200人ほども、子供をおんぶし、あるいは買い物かごをさげて霊柩(れいきゅう)車を見送ったという。

 6月28日付 編集手帳 読売新聞
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