1.07.2009

夜となく、昼となく、無事を祈って手を合わせる・・・ 編集手帳 八葉蓮華

夜となく、昼となく、無事を祈って手を合わせる・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 老練の諜報(ちょうほう)部員が後輩を戒めて言う。〈生存は無限に疑惑を抱く能力の有無に左右される〉と。英国の作家ジョン・ル・カレ「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(早川書房)の一節である

 小説のスパイはそれでいい。怪しい相手には近づかず、危ない場所は避ければ済む。「あなたは胡散(うさん)臭(くさ)いから…」と相手を追い払いもできず、ましてや密室で無防備な背中をさらさねばならない仕事では、「疑惑を抱く能力」の効果にも限りがある

 このところ朝、新聞をひらいて、「タクシー強盗」の文字を見ない日はない

 運転席と後部座席の間に仕切り板を設置したり、車内に防犯カメラを取り付けたり、業界団体や国土交通省も対策に乗り出したという。犯人の速やかな逮捕も、凶行の連鎖を断つ不可欠の一手だろう。それにしても、スパイ小説の戒めが日常のなかで浮かぶほどにすさんだ世相には、ただ首を振るばかりである

 仕事に送り出した家族の方も、夜となく、昼となく、無事を祈って手を合わせているだろう。タクシーを降りるときにはせめて一言、ねぎらいの気持ちを伝えようと思っている。

1月7日付 編集手帳 読売新聞

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