1.09.2009

一人ひとりに顔があり、家族がいて、たった一つの人生・・・ 編集手帳 八葉蓮華

一人ひとりに顔があり、家族がいて、たった一つの人生・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 日本SF小説の始祖といわれる作家、海野十三(うんのじゅうざ)は日記に書いた。〈「一月ではない、十三月のような気がする」とうまいことをいった人がある〉。戦争末期、1945年(昭和20年)元日付である

空襲に暮れて明け、旧年も新年もない、という嘆きの吐息が行間に聞こえる。いま、年をまたいで中東から届くニュースに接する人々の感懐でもあるだろう

イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザに大規模な空爆を仕掛けた昨年末以降、イスラム原理主義組織ハマスの報復攻撃など憎悪の連鎖がつづき、1月ならぬ“13月”を迎えても死者は増えるばかりである

エジプトの仲介で停戦協議に入る、とも報じられている。交渉ができるのならば、なぜ、砲火を交える前に、子供を含む700人もの命が奪われる前にしないか。人間の知恵とは何だろう

何百人…と数字で計られる死ほど、むごいものはない。一人ひとりに顔があり、家族がいて、たった一つの人生があった。胸をよぎる歌がある。〈遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし 土岐善麿(ときぜんまろ)〉。命を二つ持った者など、どこにもいない。

1月9日付 編集手帳 読売新聞

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