江戸の人々はふんどしに銭を包み、道端にわざと落として厄落としをしたという。井原西鶴の「日本永代蔵」によれば、四百三十両を奮発した大名もいる
小さな厄災を自身で用意し、不運は出尽くしたと安堵(あんど)する。逆にいえば順風満帆のときは誰にとっても怖いもので、「好事魔多し」はいつの世にも通じる教えである
大相撲の新大関、日馬富士に初場所5日目で初日が出た。けいこも気合も申し分なく、昇進に改名と「好事」ずくめで臨んだだけに、1勝4敗の出だしには本人もファンも悔しい思いだろう
〈言はざると見ざると聞かざる世にはあり思はざるをばいまだ見ぬかな〉。古歌にあるように、言わない、見ない、聞かない、はできても、「思わない」のは難しい。大関の重圧を意識しないことは、幕内最軽量の不利を猛げいこで乗り越えてきた人にも容易でなかったらしい
厄落としは節分の夜の習俗である。大名の数百両よりも新大関の白星四つのほうが失って痛いに違いないが、ここは早めの厄落としをしたと思って気持ちを前に向けるのもいいだろう。春が後ろから来たためしはないのだから。
1月16日付 編集手帳 読売新聞
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