3.12.2009

北朝鮮の重い扉、世間並みに「うちの母」とも「おふくろ」とも呼べぬまま・・・ 編集手帳 八葉蓮華

 長屋の八五郎が大家のもとを訪ねて言う。〈うちの婆(ばば)アがね、「大家さんとこへ急いで行け」ってんで…なんでがす?〉。落語の「妾(めか)馬(うま)」である。「婆ア」とは、自分の母親を指す

 文部科学省から表彰されるような言葉遣いではないし、もとより広めようという魂胆もないが、「うちの婆ア」と呼ぶことができた八五郎の幸せを今はかみしめている

 飯塚耕一郎さん(32)はきのうの韓国釜山(プサン)市での記者会見で、生き別れの母を「田口八重子さん」と呼んだ。1歳で北朝鮮に母(当時22歳)を拉致され、その面影も声も知らない子は世間並みに「うちの母」とも「おふくろ」とも呼べぬまま、“さん”付けになったのだろう。これほど哀(かな)しく、せつない呼び方を知らない。むごい国である

 拉致されてからの八重子さんを知る金賢姫元死刑囚(47)は耕一郎さんと面会し、「お母さんは生きています」と励ました。家族が胸にともした希望の灯を一人でも多くの国民が分かち合い、北朝鮮の重い扉を叩(たた)いていくしかない

 53歳になった母に、「八重子さん」ではなく「おかあさん」と呼ばれる日が必ず来ると信じている。

3月12日付 編集手帳 読売新聞
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