江戸の昔には〈見合わせ桜〉という言葉があったという。鶴ヶ谷真一さんの随筆集「月光に書を読む」(平凡社)を読んでいて教えられた
遠方の桜の開花を知るために、江戸人はそれと開花期を同じくする近くの桜を見定め、これを〈見合わせ桜〉と呼んだという。例えば、奈良の春日神社で大鳥居の左右にある一対の桜は吉野山の〈見合わせ桜〉とされていたそうで、鳥居の傍らで花を仰ぎつつ人は、満山これ桜の吉野山を脳裏に描いたのだろう
遠方にお孫さんのいる方が近所に住む同じ年ごろの子供を見て、「孫の背丈もこのくらいに伸びたかな」と想像する心にもどこか似ている
きょうは彼岸の中日、桜の開花は例年よりも幾らか早いと聞く。ほころびた花の下、墓前に香華を手向ける人の姿があちらこちらで見られるかも知れない
墓参りの道すがら、行き会う人を〈見合わせ桜〉にして、亡き母も達者でいればこの人のようであろうか、幼くして逝ったわが子もほんとうならばこのくらいの年恰好(としかっこう)であろうか…と、故人の面影に歳月を重ねてみる方もおありだろう。心眼にだけ映る天上の花がある。
3月20日付 編集手帳 読売新聞
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge