医師として東京で暮らす斎藤茂吉は「母、危篤」の報に、夜汽車で郷里・山形に向かう。〈みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目見んとぞいそぐなりけれ〉。切迫した息遣いが聞こえるようである
夜行列車に乗る人の鼓動を速めるのは焦燥や憂悶(ゆうもん)だけではない。井沢八郎さんが「ああ上野駅」で〈人生があの日ここから始まった〉と歌ったように、希望に胸を弾ませて駅に降り立った人もいただろう
東京と九州を結ぶ寝台特急「富士」「はやぶさ」がきのうの出発便を最後に廃止され、半世紀の歴史に幕をおろした。東京駅発のブルートレインは姿を消すことになる。約3000人の鉄道ファンに見送られてホームを離れる列車をテレビで眺め、遠い記憶をつむいだ方もあったに違いない
1年ほど前、「はやぶさ」で熊本を訪ねた。東京から片道18時間、食堂車も車内販売もない夜をただ揺られつつ、過去に向かって時間を旅しているような不思議な感覚に包まれたのを覚えている
憂いや、悲しみや、希望の詰まった旅行かばんを置くのに、あの狭い寝台の枕元ほど似合う場所はほかにないのかも知れない。
3月14日付 編集手帳 読売新聞
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